虚偽告訴

 あまりにも馬鹿げた話なので書きたくもないのですが、この度私自身が原告となってある男性に民事訴訟を提起することになりました。
 昨年、石川県から相当程度離れた、ほとんど農村に近いような田舎町をドライブしていたとき、山を背景に田園が広がった場所に出たので、運転で疲れていたというのもあり、休憩がてら車を道路の脇に停車して田園の中を走る農道を散歩しました。散歩から戻ってエンジンをかけたところ、車の前に見知らぬ初老の男性が立っていて、こちらに携帯電話のカメラをかざしていました。何をしているのかよくわからなかったのですが、田舎の人間特有の縄張り意識を発揮してこちらを不審に思ったのか、あるいは車を道路脇に停めたことを咎めようとしたのかどちらかだと推察し、いずれにしても取り合うのも面倒くさいので車を発進させ、その男性を回避して立ち去ったのですが、その男性がなんと、その直後、私が発進したのに驚いて跳びのき捻挫したと主張して警察に被害を申告したらしいのです。私は当然、衝突しないよう細心の注意を払ってその男性の挙動を見ながら車を発進させたのですが、跳びのいたり体勢を崩したりした様子は一切なかったのです。

 こういう類の人間は、実はよく見かけます。例えば、私が代理人として貸金返還請求の内容証明郵便を相手方に送付したのに対して、その相手方の娘が、「ありもしない話をでっちあげてこのような請求書を送ってくるのは架空請求だ。あなたの行為は振り込め詐欺だから警察に相談しました。」などという回答を寄越したことがあります。私は依頼者の供述や預金口座からの出金履歴などを確認した上で書面を作成しており、そのような根拠に基づく請求であることはその書面にも記載してあります。そもそもこれは、相手方自身、金銭の交付を受けた事実を認めている事案なのです。だから、相手方の娘は、私が証拠を踏まえて主張をしていることをわかっている、つまり私が「架空の事実をでっちあげ」ているわけでないことをはっきりと認識しているのです。それにもかかわらず警察に私が架空請求を行ったと申告したというのですから、これは虚偽告訴等罪、偽計業務妨害罪に該当する犯罪行為といえます(交渉の材料として威圧することが目的であって「人に刑事又は懲戒の処分を受けさせる目的」がないため虚偽告訴等罪は成立しないという解釈もありえますが、そもそも同罪がなぜこのような目的の存在を構成要件としているのかよく分かりません)。
 この相手方の娘も、そして今回私が提訴した田舎に住んでいる男性も、警察に捻挫をしたと嘘を言ってもどうせバレないだろうとか、「わたし、法律のことはよくわかりません!」などと弁解すれば誤魔化せるだろうと考えて、自分が責任を問われるはずはないとたかをくくっているのです。被害者面をして警察に泣きついて、相手を陥れるために警察を利用しようとする人間は、実際驚くほどたくさんいます。私が小学生だったとき、どちらにも非があるような喧嘩が勃発した後で、「先に教師に泣きついた方が勝ちだ」などと狡猾な考えをめぐらせ、自分の一方的な言い分を吹き込み被害者認定を真っ先に獲得しようと一目散に教師のところへ飛んでいって「被害」を申告するようなクラスメイトがよくいたものですが、そういうことを大人になっても続けている連中がいるのです。
 こういった人間の行動は、実際とても興味深い研究対象です。自分が何か悪いことや後ろめたいことをしたときに、非難の対象になりたくないとの心理が先鋭化するあまり、単に否定し反論するという行動の枠を超えて、「自分こそが被害者だ!」という演技をし始める人がいます。この現象を見ていると、無数の生物の種の中で人間にのみ見られる「ストーリーテリング」の能力が、存在をおびやかされた人間が「一発逆転」を目指して賭けに出ようとする心理から生まれ出たものであることがよく分かります。こういったアクロバティックでヒステリックな防衛反応は滑稽であると同時に、しかし何ともいえない威圧感をこちらに与えます。そして時として、こちらがそれによって目眩しにあって、生み出されたそのストーリーと格闘するうちに、当初のこちら側の主張や要求の存在感が失われてしまったり、自分でもその所在を忘れてしまうようなことがあります。
 これに関連した話として、次のようなエピソードがあります。最近「毒親」というワードによって、親子間の悲劇的な支配関係が言語化され人口に膾炙するようになりました。これは戦後に誕生した「核家族」という家族形態が本当に合理的なのものなのかどうかを考えさせる良い風潮だと思いますが、実際のリアルな毒親の生態というのはうんざりするようなものです。私も仕事上で、親とのトラブルや確執を抱えた人の話を聞くことが結構ありますが、毒親の中には、支配関係に耐え続けた子が親に向かって若干の反撃を試みようとする否や、「私こそあんたのために人生を犠牲にしてきたのよ!」などと、かえって自分こそが子どもに支配されていたのだという「真相」を呈示してみたり、「そういえば、なんか私もここんところストレスでちょっと体調が悪いのよね、、、あんたのせいかしら、、、」などと、ちょっと伏し目がちになったりしながら、いきなり自分の「病状」を告白し始めるなど、古代ギリシアの悲劇詩人かと思うような精力的な創作活動を繰り広げる親が多いそうです。話を元に戻しますが、上記の相手方の娘というのは、そもそも当方の依頼者に対して、法的には全く筋の通っていない無茶な要求をして自分から喧嘩をふっかけてきていたにもかかわらず、追い詰められて詩人になったのです。私にはこの女が、凍えるような荒波を見下ろす断崖絶壁の縁で、紙とペンを持ち出す光景をありありと思い浮かべることができました。

 ところで私は、先ほど述べた田舎に住んでいる男に対して、500万円の慰謝料を請求しましたが、この男は自宅宛に送達された訴状を受け取らなかったようで、保管期限が経過して裁判所に戻ってきたと書記官から連絡がありました。差出人を金沢地方裁判所とする不在票を確認しているはずですが、放置しているのです。そこで私は仕方なくこの男の就業場所を調べて就業場所送達の上申書を提出しました。事情聴取のために私の自宅にやってきた警察官は、私が断固として男の主張を否定したことと、それまでの捜査状況などを踏まえて私に、今回のことを立件することはないと言いましたし、正直に言って嫌がらせではないかと思っていますと、開けっぴろげに私に言ったのです。それがこの男にも伝わっているのかいないのか、今更になって狼狽しているのでしょうか。
 ちなみに、この男は何を思ったのか複数のヤギを飼育しているようです。実際私が車を停めた場所から道路を渡ったすぐ向かい側がヤギ牧場でした。来訪者たちに開放し、カンパを集め、しかも頭数を増やすことを画策しているらしいです。卑劣な犯罪行為で他人を陥れ、この世界に血生臭い紛争をひとつ誕生させておきながら、ヤギなどを育て、牧歌的な生活を愛している風を演じ、田舎紳士ぶっているこの男は一体何なんだろう。