私は、富山市が好きでよく行きますが、その度に思うことは、金沢市よりもはるかに優れた都市計画の下で、洗練された都市生活が営まれているということです。簡潔で的を射た路面電車網の配置を基礎としてコンパクトにまとまった中心市街地が見事に形成され、昨今では低層階に商業施設を取り入れたタワーマンションを古くからの商店街に接続・融合させるといった手法の再開発事業が進み、これが伝統的な商店街に生命力を吹き込むとともに、コンパクトな市街地の都市機能をさらに高めているといった様相です。単純でありながら明確な目的意識の下に遂行され、それがそのまま達成された素晴らしい行政の手腕だと思います。
海側環状道路・山側環状道路といった、その巨大さの割に必要性・有効性に乏しい幹線道路を一生懸命郊外に造成し、立派な道路をつくることだけが都市計画だと考えているかのような金沢市の行政のあり方とはかなり対照的です。この期に及んで、あの巨大な産業展示館4棟を含む西部緑地公園の全体を再造成しようなどと計画しているところを見ると、可能な限り巨額の予算を浪費すること自体を目的として、公共事業の施行地を土地の余った郊外に求めているとしか思えません(これは金沢市というより石川県の政策かもしれませんが、富山県と石川県の都市政策が対照的であることに変わりはないでしょう)。このようなことをやった結果として、郊外に巡らされた巨大幹線道路に沿って商業施設が立ち並び、モータリゼーションと相まって、金沢の市街地は遠心力により分解してしまいました。
北陸新幹線で贅沢に富山市へ向かうのもいいですが、私は国道8号線を高岡で下り、古城公園の脇を通って富山市に至る経路が好きです。庄川を渡ってしばらく行くと、富山市への門戸のように現れるのが呉羽山です。この山を超えると、富山の街が眼前に開けます。呉羽山の歴史的な意義について、司馬遼太郎の興味深い解説を見つけました。
「越中の野は、鶴がつばさを大きくひろげたようにして富山湾を抱いている。野の中央に、呉羽山という低く細長いナマコ形の丘陵が隆起しており、この平野の人文を東西にわけている。」「この最高部が145メートルでしかない低い丘陵が、人文的に大きな意味をもつのは、これを境界線にして富山県における関東文化圏と関西文化圏を大きく二つにわけていることである。東西は方言もちがい、生活意識や商売の仕方などもすこしずつちがっている。人文的な分水嶺を県内にもつというのは、他の府県にはない。」(司馬遼太郎全集48巻「街道をゆく二」)
この記述のとおり、呉羽山は山というよりは丘陵であり、実際に車で走っている時も、山越えをしているといった壮大な感じは全くありません。このような低い丘陵に、人文を二つに分けるほどの力が果たしてあるのでしょうか。司馬遼太郎独特の、大胆に分かりやすく言い切ってしまう文章は嫌いではありませんが、さすがにこの解説にはにわかに信じがたい部分があります。
ところで私の知り合いに水橋出身の男性がいて、その人はかねてから東京に対する強烈な憧れを口にしていたところ、最近ついに東京へ居を移してしまいました。呉東と関東圏との伝統的な結び付きを示す一つの証左と言えなくもないですが、単に、北陸新幹線という平成末期に誕生したばかりの交通ネットワークによる吸引力の産物と捉える方が適当かもしれません。
呉羽山が北陸における関西文化圏と関東文化圏の境界線であるという司馬遼太郎の解説には納得がいきませんが、すでに述べたような、金沢市と富山市の都市政策の大きな違いを見ていると、両者の間にはたしかに、その政策レベルの違いを生み出すような境界線が、どこかに存在するように思えてなりません。