リアリティ

 私が小学生だったとき、祖父がこの世を去りました。祖父は大腸癌で、私が物心ついたときから死ぬまでずっと、病床にありました。一緒にどこかへ出かけた思い出などは一つもありません。いつも寝たきりで言葉を発しない彼は、当時の私にとって、人間が老いるということがいかに悲惨であるかを伝える不吉な存在でしかありませんでした。兼六園の近くにある病院へ何度も見舞いに行きましたが、退屈で、その度に時間を持て余していたのが正直なところです。しかし一方で彼は私に、生涯忘れられない記憶を残しました。
 ある日、いつも寝ている祖父が珍しくはっきりと目を覚ましていました。そしてこれまた珍しく、何かの拍子で他の家族は全員病室から出払い、病室にいたのは私一人でした。そのとき、私は祖父から祖父の人生の中で最も楽しかった瞬間についての話を聞きました。祖父は、自分がかつて満州鉄道に勤める官僚だったこと、満州の野原でよく兎狩りをしていたこと、衝動に任せて野兎を追いかけ回していたあの瞬間が、今振り返っても人生で最も輝かしく、魂が高揚した瞬間だったということを私に話しました。私はその場では「へえ」と言っただけで、その後間も無く祖父は死にましたが、この物語は祖父が死んでから時間が経過するにつれ質量を増し、ある強烈なイメージを私の中に形成していきました。戦争でロシアから奪い取った新天地で、無邪気にそして残酷に兎を追いかけ回す青年の姿、何十年もの時間が過ぎ去り、緩やかに死へと向かう病床でそれを思い出している老人の姿、これらが神秘性を帯びて脳裏に立ち現れるようになりました。やがて祖父の残したこのイメージは私にとって、人間としての生き方に関する、ある種の理想像となるに至ります。大日本帝国の栄光や官吏としての出世などにはほとんど目もくれず、原っぱで逃げ惑う動物の姿に視点を合わせているような人間のイメージです。ここでのポイントは、決して故郷の山で野兎を追いかけて遊ぶ少年でいてはならないということです。熾烈な競争を勝ち抜き国家官僚としての地位を確保したうえで、さらには中国大陸の植民地支配という国家始まって以来最大のプロジェクトが展開されているその現場で、野兎を追いかけ回す人間でなければならないということです。私はこのイメージの鋳型に自分の存在を流し込むようにしてこれまで生きてきました。

 これについて考えるとき、私は、人間にとってのリアリティとは一体何だろうと思います。というのも、私が物心ついてから死ぬまでずっと衰弱して病床にあり、ほとんど言葉も交わしたことのない祖父がふと、何かの拍子に漏らした一言こそが私のその後の生き方を規定してきたからです。しかもそれは、本当に現実だったのかどうかも怪しいほどの、淡い記憶に過ぎません。もしかすると私が自分自身で、勝手につくり出した記憶なのかもしれません。逆に、20年近くにわたって毎日同じ住居で生活し、数えきれないほどの会話を交わしてきたはずの家族からは、私はこれと言って得るものがありませんでした。精神的な交流と呼べるものが存在したのかどうかも怪しいほどです。人間どうしが物理的な意味でリアルな時間と空間を共有することに、実際どれほどの意味があるのでしょうか。本当に我々が「生きている」のは、それとは別の世界なのかもしれません。